室積市場んが火曜日のマルシェで使用させていただいている、旧中野昌晃堂さんについてご紹介させていただきます。(資料提供:中野佳裕氏)
中野昌晃堂さんは創業嘉永5年(1852年)の和菓子のお店でした。2015年まで光市室積海商通りのこの建物で営業されていました。代表的な和菓子「鼓乃海」は、毛利公および宮内庁へ献上品。この建物はおよそ170年経っています。
建物について
建築様式は、この地域の商家によく見られる「城造り」と呼ばれるもので、釘が一本も使用されていません。地震時にはひし形に揺れる耐震設計がなされています。当時の宮大工の手によって、何代も受け継ぐことを前提に建てられました。建築用材には地元の松の木(一部には杉の木も使用)を用い、屋根や床には地元の瓦職人や畳職人が作ったオーダーメイドの瓦や畳が使われています。屋内は地域の地形と気候に合わせて、天然の風を取り込むように設計されています。建物を構成する素材の一つ一つは故郷の風土と結びついていて、それを作った職人たちの手入れの跡が残っています。
要石の柱
店の建物の要石。この柱一つで全体のバランスを保っています。
柱と床の接着面
石の上に柱を載せただけ。釘で打ち付けておらず、コンクリートで固めていません。地震の時に振動を分散させる効果があります。建物を増改築するときに、家全体を丸太に乗せて前後に移動することができます。
天然の通気口
店の入り口には、室積半島の地形と風向きを考慮して天然の通気口が設計されています。半島の西の浜からの風が、店の入り口の通気口に入り、店の奥の作業場の通気口を通って半島の東側に抜ける設計。宮大工の知恵の一つです。商家は毎日商いをすることが前提となっており、店を営業し続けることが、建物の換気とメンテナンスにもなっていました。
店の奥の床面
石の上に乗せただけ。
骨組みの接続
釘を使わず、木材を組み合わせて安定させていました。昭和50年代まで宮大工が定期的にメンテナンスに来ていましたが、後継者不足でその習慣も途絶えました。
木材の工夫
建物の骨組みを構成する木材は、建築する前に家の裏の御手洗湾の海水に1年近く漬けていたということです。そうすることで木材の中の空気が抜け、海水が浸透し、防虫効果が高まります。宮大工の知恵と技術に、本物の持続可能性について考えさせられます。
銘菓「鼓乃海」について
毛利宗家第29代当主・毛利元昭公が室積を訪問の際に献上した焼き饅頭。饅頭の形は、蒲の穂から着想を得ています。献上した際には名前がなかったので、毛利公が命名されたとのことです。室積半島の南端の象鼻ヶ岬の浜のひとつ、鼓ヶ浦の洞窟にこだまする波の音が鼓の音に似ていることから、この名前がつけられました。以来、昭和の時代まで宮内庁にも献上されていました。
営業時の店舗内の様子(平成20年頃)
当時の海商通りの様子(平成20年頃)
室積市場んと中野昌晃堂さんの建物
毎週マルシェで使わせていただいていますが、建物が持つ不思議な力を感じます。マルシェにはたくさんの地元の方が集まってこられます。中野昌晃堂さんを知っている年配の方は懐かしそうに、知らないだろう若い方は珍しそうに、建物を眺めています。その様子を見て、この建物は室積にとって、シンボル的な存在なのだと思いました。
私たちは、この建物を拠点にして、室積の街に一抹の風を吹かせたい。この建物の持つ力を借りて、リアルな物の流れ、人と人との交流と繋がりが生まれる、そのお手伝いがしたいと考えています。
現実的には建物の修復や、改築の必要性があります。この建物をいい形で活かしていくためにはどうしたらいいか、また皆さんの知恵と力をお借りしながら、活動を続けて行きたいと思います。
現実的には建物の修復や、改築の必要性があります。この建物をいい形で活かしていくためにはどうしたらいいか、また皆さんの知恵と力をお借りしながら、活動を続けて行きたいと思います。